倉吉の鍛冶(かじ)の歴史と鍬ができるまで

倉吉の鍛冶(かじ)の歴史

 古来山陰地方は良質な砂鉄と豊かな森林が供給する大量の炭により、たたら製鉄を用いた玉鋼(たまはがね)の一大生産地でありました。倉吉では、近隣のたたら場より良質の鉄が入手しやすいこともあり、古くから刀剣や農具をつくる優れた鍛冶職人が育ちました。とくに刀剣に関しては、多くの名刀【大原安綱・弓削正綱・倉吉広賀・宮本包則】を生んだ地でもあります。農具ははじめ、鋳物(いもの)でつくられていたようですが、より丈夫で鋭い歯の付きやすい鍛造(たんぞう)へと製作方法が変わっていったようです。この鍛造の技術を持つのが鍛冶というわけです。
 倉吉の鍛冶を語るうえで、「稲扱千刃(いなこきせんば)」を外すことはできません。稲扱千歯とは収穫した稲穂から籾粒(もみつぶ)をしごき取る脱穀(だっこく)のための道具です。もともと竹製の歯をそなえていましたが、歯の部分を丈夫な鋼でつくったのが倉吉の「稲扱千刃」です。ゆえに倉吉では千歯を千刃と表記します。ほとんど力を入れることなく、多くの籾を脱穀できたので、農業の生産性を飛躍的に向上させました。江戸時代後期から明治時代にかけ、倉吉の鍛冶職人が鍛錬した千刃は年間5万艇、全国の8割が倉吉の千刃だったといわれております。しかも千刃は地方ごとの気候の違いによる稲穂のでき方に合わせ、刃の隙間を微妙につくりわけていた。加えて職人が全国を回り販売・修繕・下取りまでする独自の方法で非常に評判をよび、『千刃といえば倉吉』とまでいわれるまでになりました。
 当社は、後発ではありますが、明治の時代に稲扱千刃の市場に参入し、現在の長野県・岐阜県(信州・飛騨地方)を担当しておりました。足踏み式脱穀機の発明により、稲扱千刃は役割を終えることになり、多くの鍛冶屋は廃業することになりました。当社は養蚕用具の事業をはさみ、大正9年に農具事業(主に鍬の製造・販売)を開始しております。従来の鍛造鍛冶に加え、工業技術を取り入れることで、当時としては効率的な生産工程を備え、生産量を増やすことに成功いたしました。現在も西日本各地からご依頼を頂き各地の風土・土壌に適した鍬を提供させていただいております。

明治時代末〜大正時代の作業場 倉吉博物館所蔵
稲扱千刃 倉吉博物館所蔵

八島式耳鋼入鍬

両端に鋼の層を1つ加えることにより、使用頻度の高い角の部分の摩耗が少なく、長期使用ができる。

従来の鍬

鋼が均等に入るので、角の部分が摩耗しやすく、先掛などの処置が必要になる。先掛・・・刃先の鋼を付け替える技術

*たたら製鉄・・・日本特有の古式製鉄法。近現代製鉄とくらべ、純度の高い鉄が産み出される。アニメ映画「もののけ姫」にも登場した。
*玉鋼・・・たたら製鉄で得られる和鋼のうち最も高品質な部位。日本刀の材料となる。
*鋳物・・・溶かした鉄を型に流し込む製法
*鍛造・・・熱した鉄を叩き、強度を出し、形を整える製法

鍬ができるまで

「谷が変われば形も変わる」と言われるほど鍬は地方性の強い物です。昔は集落毎に鍛冶屋さんがあり、その土地の地質や作物に合わせた鍬を製造していました。
 当社は丹後地方から島根県まで各地方に向けた鍬を出荷しております。プロの営農家はその土地の鍬に合わせた体の使い方が身についているので、伝統的な型や角度の鍬でないと使いにくいと言われます。
 作業内容や体格によって使いやすい角度や柄の長さがありますので、お客様お一人おひとりに合わせた鍬を提案させていただきます。ご希望をお聞かせください。

地域角度柄の長さ柄の形状
弓ヶ浜伯耆丹後51°4.0尺割り柄
米子・西伯・日野伯耆丹後63°4.0尺割り柄
琴浦・中山・名和伯耆丹後63°4.5尺割り柄
倉吉・北栄・湯梨浜伯耆丹後58°4.5尺割り柄
青谷・気高伯耆丹後56°4.5尺割り柄
鳥取・八頭因幡 51°4.5尺丸柄
鳥取・八頭・若桜因幡53°4.5尺丸柄
佐治・用瀬・智頭因幡53°4.5尺割り柄
若桜因幡55°4.5尺丸柄